最高裁判所第一小法廷 平成2年(オ)170号 判決 1993年11月11日
上告人
神崎タクシー株式会社
右代表者代表取締役
仁頃明治
右訴訟代理人弁護士
伊丹浩
右訴訟復代理人弁護士
戸根住夫
被上告人
瀬川春吉
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
1 第一審判決を取り消す。
2 上告人は、被上告人に対し、金五八二万円を支払え。
3 前項については強制執行をすることができない。
二 訴訟の総費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人伊丹浩の上告理由第一について
記録に現れた本件訴訟の経過等に照らせば、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は採用することができない。
同第二について
一 被上告人の本訴請求は、上告人に対し、昭和六〇年四月二二日神戸地方裁判所尼崎支部に係属中の別件訴訟において成立した訴訟上の和解で上告人が支払を約した貸金及び給料の合計五八二万円の支払を求めるものであるところ(以下、この上告人の債務を「本件債務」という。)、上告人は、右和解の成立は認めたが、右和解に際して被上告人との間において本件債務については強制執行をしない旨の合意が成立したと主張した。原審は、右主張の合意の成立を適法に確定した上、本件債務はいわゆる責任のない債務であるから、被上告人はこれに基づいて強制執行をすることはできないが、このような場合でも裁判所は給付判決をすべきであるとして、本件債務について強制執行をすることができない旨を判決主文において明示することなく、上告人に対して被上告人に五八二万円の支払を命じる判決をした。
二 しかしながら、原判決中、本件債務について強制執行をすることができない旨を判決主文において明示することなく、本件債務の支払を命じた点は、これを是認することができない。その理由は、次のとおりである。
給付訴訟の訴訟物は、直接的には、給付請求権の存在及びその範囲であるから、右請求権につき強制執行をしない旨の合意(以下「不執行の合意」という。)があって強制執行をすることができないものであるかどうかの点は、その審判の対象にならないというべきであり、債務者は、強制執行の段階において不執行の合意を主張して強制執行の可否を争うことができると解される。しかし、給付訴訟において、その給付請求権について不執行の合意があって強制執行をすることができないものであることが主張された場合には、この点も訴訟物に準ずるものとして審判の対象になるというべきであり、裁判所が右主張を認めて右請求権に基づく強制執行をすることができないと判断したときは、執行段階における当事者間の紛争を未然に防止するため、右請求権については強制執行をすることができないことを判決主文において明らかにするのが相当であると解される(最高裁昭和四六年(オ)第四一一号同四九年四月二六日第二小法廷判決・民集二八巻三号五〇三頁参照)。
これを本件についてみるに、原審は、本件債務について上告人と被上告人との間に不執行の合意があったことを適法に確定した上で、本件債務は、いわゆる責任のない債務であり、強制執行をすることはできないと判断したのであるから、その旨を判決主文に明示すべきであったのであり、右明示を欠いた原判決には、この点において法令解釈を誤った違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は右の趣旨をいう点において理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、前記説示したところによれば、原判決の主文を本判決主文のとおり変更すべきである。
よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官三好達 裁判官大堀誠一 裁判官味村治 裁判官小野幹雄 裁判官大白勝)
上告代理人伊丹浩の上告理由
原判決には、以下のとおり判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がみる。
第一<省略>
第二 原判決が上告人に無留保の給付を命じているのは違法である
一 原判決の判断
原判決は、
1 「控訴人と被控訴人間に、本件和解において本件債権を認める条項を作成するにつき黙示に不執行の合意が成立したものと推認することができる」
2 「右不執行の合意は、実体法からすると債権に執行力・掴取力の伴わないいわゆる『責任なき債務』が作られたものと解され」る
3 「かような不執行の合意のある債権は、これに基づき強制執行をすることはできないが、債務者に対して裁判により訴求することは妨げられず、裁判所はその請求に対して理由のあるときは、実体判決(給付判決)をなすべきものと考えられる
との判断を示して、本件和解にかかる上告人の債務が、いわゆる責任なき債務であると認定したうえ、主文第二項において、
4 「被控訴人は、控訴人に対して金五八二万円を支払え」との、無条件の給付判決をしている。
二 無条件の給付判決は違法である
1 本件訴訟において上告人は、当初から、本件和解の対象となった債権に基づいて強制執行を行うことはできないことを内容とする合意が当事者間に成立していた旨を主張していたのであるから、表現の点はともかくとして、原判決が認定する不執行の合意の存在を口頭弁論終結前に主張していたものと解されるべきである。
2 そうすると本件においては、給付訴訟の口頭弁論終結前に不執行の合意の存在が主張され、かつその事実が認められたのであるから、給付を命ずる主文中に執行不許の留保が表示されるべきものである(Stein-Jonas-M〓nzberg, ZPO 20. Aufl. vor § 704 Rdnr99, § 766 Rdnr25,中野貞一郎・民事執行法(青林書院新社・現代法律学全集23巻)上巻七七頁一五行目以下)。同様の趣旨は、限定承認の存在が問題になった事案に関する最高裁判所の判例において、「債務名義上相続人の限定責任を明らかにするため、判決主文において、相続人に対し相続財産の限度で…支払を命ずべきである」旨が明示されている(最高裁昭和四九年四月二六日判決・民集二八巻三号五〇三頁を御参照。)。
3 限定承認による有限責任の場合に、判決主文において留保が付されるのであれば、責任が全く否定される不執行の合意=責任なき債務の場合については、より強い意味で、右と同様の結論が認められる必要がある。
なぜなら、原判決のように、判決理由中の判断において不執行の合意を肯認していても、主文において無条件の給付を命じていれば、既判力をもって確定するのは無条件の給付請求権の存在であり(民訴法一九九条)、従って、判決の執行力も当該請求権が無条件のものとして生ずるからである。
そうすると、もし債権者たる被上告人から執行の申立がなされた場合は、執行機関は、判決理由中の不執行の合意の判断を顧慮することなく(むしろ顧慮してはならず)執行すべきであるから、債務者である上告人は、その執行を阻止することができず、結果的に、通常の債務におけると何ら変わらない事態が招来されてしまう。
4 不執行の合意は口頭弁論の終結前に行われたのであるから、請求異議の事由とすることはできない(民事執行法三五条二項)が、判決主文中に執行不許の留保文言が掲げられておれば、もし右留保文言にもかかわらず執行が開始された場合は、債務者たる上告人は執行異議(同法一一条)または執行抗告(同法一〇条)をもってその違法を主張し、さらに責任財産外の対象に対する執行として第三者異議の訴え(同法三八条)を提起して執行を阻止し得ることになるのである。
三 結論
以上の理由により、上告人に無条件の給付を命じた原判決は誤りであり、破棄を免れない。